幼稚園は○○町立○○幼稚園。町内には●●幼稚園というのもあったのだが、制服がない上に、汚らしい手ぬぐいをいつも腰に挟んで携帯しなければならないという決まりがあったので、母がそれに対して拒否反応を示し、入園先は○○幼稚園となった。この幼稚園は、近くに「つぶやきシロー」の実家があることで有名である(事実ではあるが有名ではない・・・)。
入園時に私は泣きじゃくって母から離れず、その日は帰ったという記憶がある。うんこは1回もらしたが、小の方の経験はなし。人の仕事までしてしまうという面倒見のいいを通り越して、おせっかいな園児だったようだ。両親のおかげで、幼稚園でひらがなを習う段階ではすでにひらがな、カタカナ、それに自分の名前は漢字で書けていた。卒業文集に漢字で名前を書いたのは私だけだったと記憶している。
この頃から既に、納得のいかないことにはとことん反抗するタイプで、この幼稚園の「食べ物を落としたら水で洗って食べるポリシー」が全然理解できなかった。食べ物の大切さを教えたいのは分かるが、コロッケを洗ってまで食べるバカがどこにいるのかってこと。そのまま食った方がましである。おまけに全部食べ終わらないとその児童は昼休みに入れない。私は友人のT.K.氏がだらだら食べていて昼休みなのに一緒に遊びに行けないので、彼が食べきれていないものをティッシュに包んでゴミ箱に捨ててあげたことがある(結局見つかったが、これは食べさせられずに済んだ)。その後T.K.氏とは長い付き合いになるわけだが、彼は中学時代に、残飯検査(残飯が重量でどれくらいあるか毎日計る)について、「給食費払ってるし、残飯がアフリカに行くわけじゃねーんだからいくら残したっていいんだよ」とかなりの成長ぶりを見せてくれた。
よく遊んだことといえば、色水作り。これはサインペンを分解して中のインクがしみこんでいる綿を取り出し、水の中に入れて色水を作る。そして、注射器を作りたくて、縫い針をペン先に差し込んで無理やり作り、友人に色水を注射しようとしたら、彼が母を呼んでしまい失敗に終わった。この時は注射針は中が空洞になっていることは知らず、針を液体が伝っていくものだと思っていた。そんなこんなで幼稚園時代は終わった。