小学校


小学校は○○町立○○○小学校。町内にはあと4つ小学校があった。そのうちのひとつは私の実家から肉眼で見える距離にあったのだが、学区外ということで、○○○小学校に行くことになった。

1年生の時の担任が、小学校内の別の教諭と結婚して一週間ぐらいハワイ旅行に行ってしまい、3つあったクラスが一時的に2つになったことがあった。新婚旅行から帰った担任を迎えるために、他の先生が黒板に皆でメッセージを書いて、それをもって担任を迎えましょうというアイディアを出した。このとき私が書いたメッセージは、漢字で、「●●先生、ご結婚おめでとうございます」である。それを見た担任は、「誰が書いたのこれ?」と驚いていた。無論それを狙ったのである。見栄っ張りで、前夜に母に結婚という字を教えてもらい、何度も練習して何も見ないで書けるようにしておいた・・・。そういうこととは別に、癖のいたずらは抜けず、女児のリップクリームを折ってしまい、そのことを担任に連絡帳に書かれたが、そのページを破り捨て、その日の担任印(サインペンでくるくるっと描いた二重丸)を真似して書いて親に見せた。その連絡帳を次の日そのまま担任に提出したが、担任は何も言ってこなかった。

2年生の時の担任は、毎日宿題で日記を提出させる先生で、これがきっかけで私は文を書くのが好きになった。拾ってきたメスの子猫を、親は一旦飼うと言ったのに、親戚のアドバイスで母の実家近くに捨てることになったときに涙が枯れるまで泣いたのは今でも忘れることができない。このことを腫れまぶたで書いた日記は、おそらく今はもう見つからないだろう。この猫とは関係がないが、この頃からクラスで孤立するようになっていった。悪いやつで、あまりかかわらないほうがいいと周りから遠ざかられるようになっていった。また、運も悪かったようで、女児に耳元で大きな声を出されてやりかえしたら、そいつが病院送りになったり、ふざけて押した相手が脳震盪を起こしたり。

3年生では完全にクラスから孤立してしまい、担任に「3年1組の癌」とまで言われた。帰りの会で、意見のコーナーというものがあって、意見のある人が手を挙げて意見を言うのだが、ここである男児が、「●●君(私のこと)が先生のことをババアって言ってました」と言ったのである。すると、別の女児が、「私も●●君が先生のことをババアって言ってるの聞きました」とつなげるのである。オマエラ帰りの会でちくるなよな。そのあと、「ほうきでたたかれた」となり、これは私がほうきではく係りで、雑巾がけをサボっている輩をほうきの掃く部分で叩いたのが事の始まりだったのだが、これが結局帰りの会を延長させ、私が黒板の前に立たされて小1時間、私VSクラス全員+担任でわけの分からん裁判のようなものに発展したこともあった。

3年次の担任は、余った給食は持ち帰る、忘れ物をしたらその忘れ物を太い油性のインクで手、顔に描く(例えばめがねを忘れたらメガネを顔に描かれ、掃除の時に着用が義務付けられていた三角巾を忘れると、額に△を描かれる)。ちょっとふざけたことをすると、校庭4周とか言われて、たとえそれが給食を食べる直前であっても走りに行かなければならなかった。この他にも挙げたらきりがないが、はっきりいってクソ教師である。こんなやつからは教員免許を剥奪してやればいいのだ。ちなみに彼女は行き過ぎた指導により、私の卒業から数年後、それなりの処分を受けたようだ。

そんなこんなで4年生になった。このときの担任は、私が学校で何か悪いことをしても決して両親には知らせず、学校内できちんと問題を片付けるようにしていた立派な先生だった。私はいつも何があったか両親にポロリと言ってしまっていたのだが・・・。ただし、「私はバカです」と書かれた大きな紙を肩にかけて歩けと言われて、肩にかけるまではやらされたことがあった。これは私が替え歌でいつも女児を困らせていたからである。4年生の時は、その女児に家から一万円を持ってくるように言ったことがあったが、これは恐喝ではない。女児もその気だったからだ。結局これは私の親ともう1人、このときいくらかの現金を受け取った男児の親にばれ、女児の親に返金した。そのほかには、もう少しで放火になりかけたこともあったなぁ。これは枯れたススキに火をつけたら勢いよく燃え広がり、消火できるどころではなかったので逃げてしまったら近所のオヤジがホースで消火してくれた。あれは燃え広がっていたら大変なことになっていただろう。それと、友人宅に鍵を開けて侵入してしまったこともあった。その後彼の母親に言われた言葉は、「いっくら友達だからって、勝手に家に入っちゃだめだかんねー」である。そういってチョコレートパンをくれた。私の母だったらおそらく警察に突き出していただろうに。そんなわけで、泥棒、放火魔、そのた色々言われまくることになってしまったのだ。

5年生の担任は初めての男の先生だった。しかし、いたずら癖は抜けず、T.K.氏、Y.O.氏とよくいたずらをして、悪ガキ3人組と言われていた。絵の具セットの絵の具を袋の中で出してぐちゃぐちゃにする、ホッチキスの稼動部分にアラビックヤマトを大量につけて動作不能にする、サインペンを机に「トン!」と叩きつけて、先を中に入れてしまって使用不能にする、糸通しの細い針金をぶち取る、などなど、いたずらとしてはかわいい部類だ。よくクラスメイトが、「先生が呼んでたよ」と言うのだが、そのたびに今度は何が見つかったんだろうと、ビクビクの毎日だった。

遠足のお菓子にわたあめを持っていこうということで、ゲーセンにあるわたあめ機を使って無限にわたあめを製造する方法を思いついたのもこの頃だ。わたあめ機は、まず100円玉を投入すると中央の部分が回転し、加熱される。そして、3種類のわたあめのどれかを選びその色のボタンを押すと、その回転部分の上からザラメが落ちてきて中に入り、音楽がながれ、わたあめができ始める。しばらくすると音楽と回転が止まって終了となる。ここで気づいたのがこうだ。100円を入れてからボタンを押さなければ、機械は半永久的に回転を続けるのだ。ここで自分で用意したザラメを入れれば、わたあめを好きなだけ作ることができる。この仮説を立証するために、友達を呼んでザラメを持ってそのゲーセンにいった。ゲーセンといってもスーパーの一角にあるやつだが。 ザラメを入れるのが少し大変で、ザラメがわたあめができる部分にこぼれたが、ザラメは1キロもあるので問題はない。私の仮説どおり、機械は回転を続け、わたあめを生産し続けた。大成功である。私たちが作り出しているわたあめの量が異様に多いので、店員のおばちゃんがビニール袋を持ってきてくれたが、このとき白いわたあめに疑問を抱かなかったのだろうか。なぜなら、この機械は必ず色のついたわたあめができるようになっているからだ(色付きザラメがでてくるため)。おばちゃんは、どうも私たちがわたあめを作りすぎていると感じたらしく、2階のゲーゼンのオフィスに行って、作業員を呼んできてしまった。その時点で大きなビニール袋3つはわたあめができていた。作業員は、わたあめができる部分にザラメがたくさんこぼれているのが異常であると思ったようだ。それはそうだ。通常ザラメは上から垂直に回転部分に落ちる仕組みになっているので、こぼれるようなことはない。今回は私がザラメを横から入れたのだから、こぼれるのは当然だ。そんなこともわからずに中を開け始めて、まったくアホだなと思いつつ、ゲーセンを後にした。結局、こんなに大量にわたあめを遠足に持っていくのは現実的ではないということで、近くの公園ですべて水に溶かして処分した。

そのほか学校でのいたずらは数え切れないほどした。図書室あらし(本をのりでつける、画びょう入れにのりを入れる、カウンターをインクでぐちゃぐちゃにする等)、図工室あらし(優秀作品をのこぎりで切断、溶剤を撒く、乾かしてある粘土をたたきつぶす、画びょうを撒き散らす等)など、不特定多数が迷惑を被るようなこともしてしまった。大体は悪ガキ3人で行うのが常だった。図工室あらしの次の日は朝からプールで、5年生全員がプールに集合して朝の会をやるときに、どういうわけか全員が教室に戻るようにという指示を受けた。そして、5年1組の前には、5年生の担任全員が腕組をして待っていたのである。そして、私たちが教室に入ろうとすると、「お前らちょっと来い!」となった。どうしてばれたんだろう? その後は3人で片付けである。

この、悪事がばれるということが本当に多くて、教務主任めがけてトイレットペーパーを投げつけたのも、トイレから出るときに別の男児が入ってきてばれてしまうし、悪事はいつかばれるものなのだとこの頃悟ったような気がする。

そんなこんなで小学校は終わったが、5年生から塾に行っていたこともあり、成績は悪くなかったので大目に見られることも多かった。家には英語の家庭教師が週一で来ていた。面白いのは、ビデオカメラで色々製作していたこと。これは今見ると笑ってしまう。殺人鬼○○密着取材とか。

2004.7.23