ピアノ


幼稚園の頃すでに、習った曲を家にあったオルガンで弾いたりしていて、何気なくピアノには興味があった。そこで、小学校1年生から近所で習うことになった。近所といっても、すごく近所には音大卒のT先生がいたのだが、そこはすごく本格的ということで、ちょっと離れたI先生の所で習うことになった。I先生は音大は出ておらず、個人で教えているというレベル。最初の1年で、もうつまらなくてやめたくて仕方がなかったが、だらだらと6年やることになった。弾けた曲でまともなのが、エリーゼのためにとか、乙女の祈りぐらいであった。最後はプライベート発表会ということで、I先生宅で両親に曲を披露した。その時にI先生が弾いたのがトルコマーチ(ここがポイント)。

中学校ではピアノが弾ける男子生徒は私ぐらいで、あとは私より弾ける女子が何人かいた。私は普通の人が興味を持たない曲に興味を持ち、その中でも特に校歌と県民の歌は大好きで、自分で練習して弾けるようにしておいた。2年生の立志式で、校歌を弾くのは誰がいいかという話になり、ある女子生徒が弾くことになったのだが、その時点で私は校歌を完璧に弾けたので、なんで自分の所に話がまわって来ないのだろうと思ったが、結局その女子生徒は時間がなくて弾けないことになり、私が弾くことになった。当日はかなり緊張したけど。そのときの写真は残念ながらない。それからというもの、全校集会などでは私が校歌の伴奏をするようになった。男子生徒がピアノ伴奏をするのは珍しいことだった。

中学3年では、合唱コンクールで、校歌と県民の歌の伴奏を担当。しかしながら、本番1週間前に、アンモニアの噴水を作るためにゴム栓にガラス管を取り付ける作業をしているときに、ガラス管が割れて右手の小指に貫通してしまうという事故に見舞われた。伴奏は無理だねと言われたが、当日は根性で弾いた。このときの写真はある。合唱コンクールを見に来た父兄の中に私の母がいたのだが、隣に座っていた父兄に、「あの校歌を弾いている子は一週間前に指に大怪我をしたのに頑張って弾いてるんですって」と言ったそうで、なるほど日本人らしい。

卒業式では音楽教諭が校歌と巣立ちの歌を弾くというので、ふてくされていた。

中学校はよかったのだが、高校(男子校)には、私なんかより全然すごい人がいた。彼はK氏。高1で、英雄ポロネーズ、革命などをすらすら弾くのである。私は彼の演奏に感動し、ピアノにはこんなに素晴らしい曲があるんだと知った(それまではあまり聞いたことがなかった)。そして、今まで自分は適当なところで満足していて本当にちっぽけな男だと思った。私は思った。もう1回ちゃんとしたところで習いたい!

前に書いたI先生は、最後の演奏会のビデオを見てみると、トルコマーチの一番速い部分をスキップしているのだ!!! 逝ってよし! つまり、ダメオ。私は家から自転車で1分の本格的なT先生の所に習いに行きたいと親を説得した。しかも、ピアノが家になくてはダメだと強調し、家の改装(ピアノを安定して置けるように畳の部屋を床張りに)をしてもらい、ピアノまで買ってもらった。買ってもらったとはいえ、この説得には数ヶ月を要したが。そして、私はT先生のところで習えるようになったのだ。T先生の演奏は素晴らしかった。私はT先生のもとで、ショパンの幻想即興曲、ワルツ、革命、別れの曲、リストの愛の夢などを勉強させてもらった。夏には発表会での演奏も果たした。

ところで、私にこんなにやる気を起こさせてくれたK氏は高校に入ってからはレッスンを受けなくなり、我流で弾いていたが、私が色々弾けるようになっていくのを見ていて、彼も刺激を受けたようである。最後の締めくくりとして、高校の文化祭の後夜祭において、私がショパンの幻想即興曲を弾いた。K氏にも話を持っていったのだが、K氏は弾かないと言った。

K氏といいライバル関係にあったことが、私がピアノを再開し、続けてこれた理由だったが、高校を卒業し、留学を志すようになってからはピアノは辞めてしまった。またいつかいい機会が訪れて、ショパンの英雄ポロネーズが弾けるようになりたい。

2004.7.23